自己矛盾と戦う!コーチング資格は要る?要らない?

コーチング資格について、先日ブログで下記のような記事を書きました。

資格は必須ではない! としながらも、メリット・デメリットをお伝えしたつもりなのですが、じゃぁ自分はどうなのよ?ということで、先日自分自身がクライアントとしてコーチとセッションをしたときに対峙した「自分が資格に挑戦する意味」を少しお話してみたいと思います。

これから、コーチを目指す方や、現役コーチで、ACCやPCCを検討しているかた等にも参考になると幸いです。

目次

基本スタンスは「資格は必要ではない」

先ずはじめに、根本的な私の考えをお伝えしておくと、「資格はラベルでしかない」ということです。

これは、元々いたIT業界でも同じスタンスでした。

実力や能力を担保するものではなく、担保されるのは、「資格の取得に向けて必要な事に取り組んだ」という事と、あるタイミングで「試験に合格した」という事実のみです。

あとは、本当に言葉通り「ラベル」として対外的にそれを示すための機能がある。そう思ってきました。

大学を中退した私は、就職をしようとしても、「自分が何ができる人間なのか」を客観的に示すラベルを持ち合わせていませんでした。

「小学生の頃からMS-DOSやBASICで遊んできて、パソコンやITの事はそれなりに得意です」といっても、それを示すラベルが無いと思っていて、基本情報技術者試験、ソフトウェア開発技術者試験、ネットワークスペシャリスト、他にも各種ベンダーの資格も沢山とりました。

あるとき、新人研修を担当した時に、新入社員に「すごいですね!」と驚かれましたが、僕は正直に

「こんなもの、なんの役にも立たへんよ。役に立つのは現場での実践で着く力の方が何倍も役に立つ。実際に、僕が取った資格のうちのいくつかは、実践してないからもう忘れて使い物にならへんよ。」

と言いました。

そう、「ラベルの為の資格」で使わないもの、磨かないものは陳腐化していくだけなのです。

結局現場で使えるのは「実力」って観点から、私の基本スタンスは「資格は必要でない」と考えています。

ICFの認定試験は「実践し続けることを重視する」

ラベルのための資格で使わないもの、磨かないものは陳腐化していく、と書きましたが、その点でICFの認定試験は、一応「実践し続ける」ことを課しており、継続的教育としての単位時間や、定期的に更新を必要とする点などは有意義な一面はあると思っています。

じゃぁ、それが私がICFの認定試験に臨む理由か、と言うと実はこれも違います。

「実践し磨き続けること」と「ただやり続けること」の違いが明瞭に出ないのが問題です。

分かり安くいうと、例えばPCCの試験要件としては500時間のコーチング時間が求められますが、毎回のセッションにおいて、コーチが自分の自己課題を見出し、研鑽しつづける500時間と、ただただお話しを聞いて終了する500時間は極端に言えば、同じ500時間のログとなるんです。

もちろん、何もしてこなかったコーチが試験に合格することは、ほぼ無いでしょうが、合格する実力のあるコーチ2名が上記のケースだった場合はどうでしょうか?

一方は、十分に自己研鑽を積み、合格点を余裕で超えて当然のように合格する120点のコーチ。
一方は、ただただ時間を稼ぎ、合格点ギリギリで滑り込む80点のコーチ。

どちらも同じ「ラベル」を貼ることになるのです。

だから決して「ラベルだけで判断してはいけない」と思います。
しかし、ここでは極端に下げて表現をしましたが、「合格する実力を有する」という点においては、十分に評価させるコーチであることに間違いはありません。

じゃぁ結局何なの?

ここまで、基本スタンスと、前回のブログにつづき、資格の良い面と、どうでもいい面の両方について理解していることを整理してきました。

  • 基本的に資格は必要ではないと考えている
  • 対外的な「ラベル」機能がある
  • 「合格した実力は有する」ことを表す機能は有効(ただし合格点スレスレか余裕かは分からない)
  • 合格後の在り方/研鑽度合いは対外には分からない
  • 実際に資格を持っていなくても「資格以上」の実力あるコーチもいれば、資格負けしているコーチも居る

改めてみると、「やっぱり必要ないじゃん。。。」ってなってしまいそうです。

実際に私自身がコーチとセッションをしていて「あれー?何だっけ?分かんなくなってきたぞ。でも自分はPCCにチャレンジしようと思ってる。その理由は???」と少々混乱しました。

結論、私が辿り着いたのは、自分の枷とするためってことでした。

糧じゃなくて枷?

って思う方もいるかもしれませんが、間違いじゃありません。枷です。

もちろん、対外的な「ラベル」としての機能がある、という理由は1つあるのですが、今回のチャレンジの理由を改めて突き詰めた時に分かったのは「枷」

コーチが「僕は資格とると下手なことができないとか枠組みの中でやるとか、って感じて窮屈だから避けて来てたんですよね」ってシェアしてくれたことが切っ掛けでした。

「あ!そっか。それだ。その逆だ!不自由!」

不自由の話は別のブログを読んでいただいた方がいいと思うのですが、私にとっては「不自由を敢えて選択する」という価値観があるみたいです。

ICFという看板を背負って下手な事はできない。だから自分を律しよう。研鑽しよう。
プロフェッショナルというラベルを使う自分は、自分が思い描く「プロ」像であろう。

自分を律して鼓舞するための機能をもった「枷」という名の「糧」だったわけです。

自分の行動に意味をもった時

自分の選択や行動に意味を見出した時、その選択や行動はより強固なものへと変容します。

意味づけを行ったことで、このテーマは私にとって「完了」し、気負いやプレッシャーやモヤモヤした感じから解放され、そこに存在するのは「PCCにチャレンジする」という事実だけ。

もちろん結果にもコミットして行動するのですが、結果に固執することはなさそうです。結果に固執している状態だと、「一発合格」とか考えてエネルギーを奪われる感覚に陥りそうですが、完了した今は不思議とその感覚は皆無です。

自分の選択に対して行動をし、結果を出す。ただそれだけのことなので、1回目でダメなら改善して2回目チャレンジすれいい。その間にまたそれだけ成長するんだから。


1981年、兵庫県尼崎市生まれ。

「自分との約束を果たす旅〜Self Bridge〜」と題したコーチングプログラムを通して、行動と変容を実践。
また、資格に拘らない、コーチングの本質的な瀬Sション力強化にも力をいれる。

年に1回・新月の日に開催される4席限定の沖縄リトリート「原点回帰の旅」を通じて、仕事と楽しむことを両立する。

どれも席数が少なく「路地裏の名店」と言われる

@lifecoach_arita 有田 卓也

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